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街中での「募金」を躊躇してしまうようになった件

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街を歩いていると募金箱を持った気のよさそうなおばさんが立っていました。

「恵まれない○○の子どもたちのために、愛の募金を、お願いします!」

と大きな声で切実な声で訴えるように。心に響きます。

いつもの私ならば「豊かな国、日本にたまたま生まれ、そしてたまたま普通の家庭に生まれ、今はたまたま運良く職にも就けて、健康でもある。」とありがたさを実感し、10円でも100円でも募金をしていたものです。

しかしこの時は、募金をせずに前を通り過ぎてしまいました。いつもなら心を痛めるとまでは行かなくても、募金をしなかったことがちょっとだけ気になってしまいましたが、今回はそんな気持ちはありませんでした。

それはなぜか?

言い悪いは別にして、「募金」の数があまりにも増えすぎた。という事。そしてそれらの一部に悪意を持ったものが含まれてしまっている事です。この事を気づいた途端、いろんな事を思うようになりました。

目次

募金をしたお金は本当に有効に使われているのか

「困っている人へ」と誠意を持って投じた私の大切なお金。少しでも役に立てば。と思って募金したお金ですが、それらの使い道はまったく不明瞭。どの団体に募金したのかとか意識して募金をすることも少ないですよね。これまでは「何に対して募金をするか」が重要だったのであり「どの団体に募金をするか」というのは意識があまりなかった。もちろんあまりにも怪しい、と思うところは避けるようにしていますが意識してない、というのが現状でしょう。

「募金」という善意なので当然そのお金は有効に使われているのだろう。と性善説に立って考えていましたが、果たしてそうなのでしょうか?その団体の運営費等々に使われたり他の目的に使われたり……。最近では「死ぬ死ぬ詐欺」と呼ばれるものまで出てきています。難病の子どもを助けるために億単位の募金をして使い道が不明瞭である点が指摘されていたり。

そのようなニュースや話題が出ること自体寂しい事ですが、火のない所に煙は立たちません。何事も「公開」が要求される時代。どれだけガラス張りにできるかが、重要なのかもしれません。またそうすることでよりその団体に多くの支援が集まることになるのだと思います。

全員を救うこととがベストなのか

貧しい国の子どもたちを救うため、災害があれば被災者を救うため、難病の子どもを救うため。その他にもたくさんあります。みんな同じ人間なのです。平等にみんなが幸せに慣れればそれが何より最高の結果なのです。

しかし考え方を変えてみれば、本当にそれらをすべてを救う必要があるのでしょうか。人間も動物、生き物なのです。健康に生まれるものもあればそうでないものもある。運命という事実も受け止める必要があるのです。

たとえば難病のお子さんの場合。親御さんであれば何が何でも助けてあげたい。と思うのは当然だと理解はできるのですが、数年延命できたとしても果たしてそれは子どもにとって幸せなことなのでしょうか?手術、渡米、延命処置。そう言ったものに多くの時間を取られ「人」としての大切な時間を過ごせない。神様から与えられた運命を受け止め、人間らしい時間を親子で濃く過ごしひとつでも多く楽しい思い出を作らせてあげる方が子どもにも幸せである、という考えもあるのではないでしょうか。

他にも、貧しい国の子どもたちについても同じです。人口爆発の危機に遭遇している地球。今や人口は60億人を突破。深刻な食糧問題、エネルギー問題が深刻化してきています。今は豊かな日本ですが数十年後どうなっているか分かりません。苦しんでいる子どもたちはかわいそうですが、私たち国民ができるレベルではないとも思えます。国が外交として動くところが求められると思います。そう言う意味では募金よりも署名の方が効果があるように思います。「日本が○億円援助した」「日本が学校を建設、井戸を建設した」と言う方が国際的な評価も上がるはずです。

結局のところ最後は自分のこころが決めること

何が正しくて何が悪い。どこが正しくてどこが正しくない。という事は言えませんが、自分が信じられる事、信じられるところに、これまでの暖かい心を持って、少しだけれどもそれこそ文字通りの「愛の募金」ができたらいいな、と思っています。

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