郵便ポストはなぜ「赤い」のか?明治の黒塗りポストと便所と間違えられた歴史
街中を歩いていると当たり前のように目にする赤い郵便ポスト。
現在では「ポスト=赤」というイメージが完全に定着していますが、1871年(明治4年)に日本の近代郵便制度が始まった当初、ポストは赤ではなく「黒」でした。
なぜ最初は黒かったのか、そしてなぜ現在のような目立つ赤色へと変わっていったのか、その背景にある当時の時代状況や意外なトラブルの歴史を整理しました。
1. 最初は「黒い木箱」だった郵便ポスト
日本の近代郵便制度は、前島密の建議により1871年(明治4年)に東京・京都・大阪の間で始まりました。その際、街頭に初めて設置されたポストは木製の箱でした。
「書状集箱」から「黒塗柱箱」へ
制度開始当初は角型の木箱で「書状集箱(しょじょうしゅうばこ)」と呼ばれていました。その後、風雨による劣化や腐食を防ぐため、表面に黒漆や黒ペンキを塗った「黒塗柱箱(くろぬりちゅうばこ)」が導入されます。
このポストの正面には、白ペンキで大きく「郵便箱」と書かれていました。
街灯がなかった時代の「見えにくさ」
しかし、当時は現在のように街灯が整備されておらず、夜になると街は完全な暗闇に包まれていました。
黒く塗られた木箱は夜の闇に同化してしまい、「どこにポストがあるのか分からない」「夜間に手紙を投函しづらい」という実用上の大きな問題を抱えていました。
2. 「便所」と間違えられた珍事件
黒塗りポストには、見えにくさ以上に深刻なトラブルが発生していました。それが公設の便所(トイレ)と勘違いされる事件です。
当時の一般庶民にとって、「郵便」という言葉も仕組みもまったく馴染みのない新しい概念でした。
ポストの正面に大きく書かれた「郵便箱」という文字を見た人々は、見慣れない「郵」の文字を見落とし、中央の「便」の文字に目を奪われてしまいました。その結果、当時街頭に置かれ始めていた「垂便箱(たれべんばこ=公衆便所)」と早とちりし、中に用を足してしまう人が相次いだという記録が残っています。
3. なぜ「赤」になったのか?1901年の転換点
見えにくさや誤認トラブル、さらに木製ゆえの火災・盗難への脆弱性を解決するため、郵便当局はポストの全面的な改良に乗り出します。
そして1901年(明治34年)、現在の丸型ポストの原型となる鉄製のポスト(丸型庇付ポスト)の試験導入が始まり、ここで初めて「赤色」が正式採用されました。
イギリスの郵便ポストを参考にした
赤色が選ばれた大きな理由は、近代郵便制度の先進国であったイギリスのポスト(ピラー・ボックス)に倣ったことでした。イギリスでも初期は緑色などが試されたものの、目立たないという理由で1874年以降に鮮やかな赤色が標準化されており、日本もこれを取り入れました。
「赤」がもたらした実用的なメリット
- 遠くからでも目立つ視認性: 昼間はもちろん、薄暗い夕方や街灯の少ない夜間でも一目でポストだと認識できる
- 便所との誤認防止: 黒塗りの地味な木箱から、鮮やかな鉄製の赤い円柱に変わったことで、不衛生な勘違いを完全に一掃
- 防火性と耐久性: 木造建築が密集していた当時の都市部において、火災に強い鋳鉄製を採用し、手紙を火災から守る構造へ進化
赤色は単なるデザインの好みではなく、「街中での見つけやすさ」「誤用の防止」「防災・安全性の確保」という実用上の課題を一挙に解決するための合理的な選択でした。
まとめ
普段街中で当たり前のように見かける赤い郵便ポストは、次のような変遷を経て現在の姿になりました。
- 1871年(明治4年): 木製の「書状集箱」としてスタート
- 1872年(明治5年): 雨風対策で黒漆を塗った「黒塗柱箱」になるが、夜に見えない問題や「垂便箱(便所)」と誤認されるトラブルが発生
- 1901年(明治34年): イギリスを参考に、目立つ「赤色」と火災に強い「鋳鉄製」を採用して定着
「目立たせること」と「衛生上の勘違いを防ぐこと」という当時の切実な課題が、今日まで続く赤いポストの原点となっています。